会いたくなったら

「わぁ可愛い」
　組んでいた腕をいとも簡単に解き、糸切帝の恋人は通りかかった雑貨屋の棚に釘付けになっていた。
　慣れとは恐ろしいものだ。帝は思う。一緒に歩く時、帝はほんの少し腕を空ける。その空いたスペースに、恋人はするりと腕を滑り込ませる。そうするようになったのはいつだったか。初めこそドキドキしていたし、周りの目が気になったが、月日が経つにつれてそれが自然になるとともに、ドキドキすることも、周りの目が気になることもなくなった。
　自然になったのは組む瞬間だけでなく、解く瞬間もだ。何だか名残惜しそうに離す体温に、自分も名残惜しいと思ったものだが……今はその感覚はない。
　けれど、変わらないものもある。今目の前で棚のカップをしげしげと見つめる恋人の顔はやはり可愛い。欲目が入っているのかそうでないかをもはや判別出来なくなっている程度には、ふたりが過ごして来た時間は長い。あと、彼女が見る雑貨のデザインが、たいてい絶妙にあの縦に長く無表情な妖精を連想させるものである点も、変わっていない。そろそろ変わってくれても良いと思うが、残念ながらあの妖精との絆を思えば変わることはそう無いだろう。
「あぁこれすっごく可愛いけど……うーん」
　当の恋人は、手に取ったカップのひとつを棚に置くかどうかを悩んでいる。置こうとしてやめて、置こうとしてやめて。すごく気に入っている風だが、即決出来ないのは。
「買うんじゃねぇのか？」
　帝はヒョイとカップを恋人の手から奪う。彼女のことだから金額は問題ではないだろうが――実際大した値段ではなかった――それ以外に購入を躊躇う要素はあっただろうか。想像の外のことを、帝は問う。
「ん――…正直欲しいけど、似たようなカップがね、うちにいっぱいあるの。さすがに買い過ぎかなって」
（このデザインが？）
　うっかり口に出しかけて、帝はその言葉を飲み込んだ。彼女の家に何がどう置いてあるかなどは存じ上げないが、棚の中に似たような柄のカップがずらっと並んでいる様子を想像したら、帝は一瞬背筋に冷たいものが走った気がした。別に顔は描いてないのに、何かこう、視線を感じるようなそうでないような。
　しかし彼女は帝の思考とは裏腹に相当迷っているようだ。躊躇するほどたくさんカップがあるのに、検討してしまうというのはよほど気に入ったのだろう。
「やっぱり買うのやめようかな。多過ぎるし……お店で使ってもらうにはちょっとデザインが――」
「買えば良いじゃねぇか、買ってやるよ」
　言うなり、帝は彼女の返答を待たずにレジに向かう。ちょっと、と焦ったような声が帝の背に届く。お構いなしに帝はさっさと会計を済ませて、カップの包みを受け取った。
　が、帝はそれを恋人に渡さず、「おい、行くぞ」と声を掛けるだけ。彼の可愛い恋人は、小走りに彼を追って来て、隣に並んだ。腕はほんのり空けてあるが、その隙間に彼女の手は滑り込んで来ない。
「ちょっと、ミカド」
「お前ん家に置いとくカップが多いんならうちに置いとけよ。そういや、まだお前のものとか置いてないしな」
「へっ」
　柄こそ気になるものの、帝の家に彼女の物が置いていないことは事実だ。毎度毎度『客用』の食器じゃあな、と帝が空中に向けて言うと、恋人は急に帝の空いた腕にしがみついて来た。
「あら、策士じゃない。『コイツに会いたきゃ俺ん家来いよ』ってこと？」
「………………ん⁉」
「お家デートをたくさんしようぜってことでいい？」
　さすがにそこまで考えが及んでいなかった。家に同じようなものが多いのが気になるなら、まだ物が無い自分の家に置けば気にならないし、客用でなく自分用のカップが使えて良いだろ。そんな単純なことしか帝は考えていなかったのだ。策士、とは。それは自分のような奴に使う言葉ではない。
「顔赤いわよ。今更気づいたの？」
「……るせ」
「ふふ、有難う、買ってくれて」
　年月が経ってもまだ、彼女は帝の余裕を奪うのだ。まだ、奪えるだけの要素が残っているのだ。もう無いだろうと思っても、まだ。
　彼女の余裕を奪って優位に立とうなんてまだ早い。妙に渋い声が帝の中に響いた。ついでに、脳裏にひょろひょろしたシルエットも浮かんだ。もしかして、いやまさかな。その声は、何故だか帝の手の辺りから聞こえた気がした。
◆2023.01.21 @akatsuki_yu  https://x.com/akatsuki_yu/status/1616594931770085376